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​抑圧と抵抗の歴史

東ティモールは2002年に独立を遂げて21世紀最初の独立国となりました。

現在の町はまさに平穏そのものですが、独立に至るまでには長い抑圧と熾烈な闘争がありました。

 

初めて他国の力が及んだのは16世紀のこと。

ポルトガルが白檀を求めて来航し、1974年に植民地解放を宣言するまで、植民地下に置かれていました。

太平洋戦争時には日本軍の支配下に置かれたこともありました。

ポルトガル本国での革命を契機として1975年に独立を宣言。しかし、間も無くインドネシア軍の武力侵攻を受けてしまい、その支配下に置かれました。

一切他国の目に触れることなく、人々は数々の虐殺や非人道的な扱いを受け、国民の約3分の1に当たる20万もの人が命を落としたとされています。

 

他方で、生き残りをかけたゲリラによる抵抗運動が行われ、独立までの間それが続きました。

1991年のサンタクルス事件の映像が流出したことや1996年のベロ司教とラモス・ホルタのノーベル平和賞受賞を発端として国際社会の注目を集めて独立の機運が高まり、1999年に国連主導の下で独立を問う国民投票が行われました。

 

 

民兵による暴力の危険性があった中、投票率98.6%、インドネシア併合反対78.5%の票を得て、独立することを決めます。

 

安心したのも束の間、その後も民兵による焦土作戦が行われてインフラの約7割が破壊され、国連が介入にするほどの苛烈さでした。

 

 

それは2002年に正式な独立が達成されるまで続き、その間に約30万人が難民となってティモール島の西側へ避難しました。

東ティモールの当時の人口は約70万人であったとされています。

独立を遂げた後も国内が平穏を取り戻すには時間がかかり、2006年には内戦状態に陥りました。

現在は平穏の中で暮らしている彼らですが、中にはやはり当時のことに心に傷を抱えている人もいます。

どのようにして心の傷を癒していくのか、そして、当時を知らない若者も増える中でどのように語り継いでいくのか、その課題は形を変えて残っています。

 

まさに0からのスタートを切ったと言える東ティモール。

抑圧と長い闘争の中で培った強い国民の結びつきを礎に元の姿を取り戻し、現在も刻々とその姿を変えています。

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